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knanaoのメモ

たんなるメモ

東村アキコ「東京タラレバ娘」〜自分の人生と向き合わず責任を持たない人間はいつまで経っても結婚”できない”

今をときめくタラレバ娘である。

 

 

読んでしまう、読んでしまう。

新刊が発売になる度に話題になるのでとうとう7巻まで読み進めてしまった。

こうなればもう最終話まで読むしかない。恐ろしい漫画だよ。

 

【7巻までの感想】

面白い!絵もシンプルながら登場人物がそれぞれ特徴的で読みやすい。

独特なハイテンションで気がついたら読み終わってるのでサクサク進んでしまう。

ストーリーもうまく展開してるなーと感心する。

 

いやしかし、いやしかしなんなんだ…?

一体なんなんだこの人たちは…???

 

主人公の倫子は大学卒業後テレビ制作会社に就職し、30歳で脚本家として独立する。

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(美人ですね!)

 

ネイルサロンを経営する香と父親の居酒屋を手伝う小雪は高校時代からの親友で

何かある度に集まっては「女子会」をする32歳の未婚女性である。

 

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(アラサーが居酒屋で女子会するの図)

 

仕事もあり親友もおり順風満帆なアラサー生活に見えるが

当人たち(特に倫子と香)は未婚で彼氏がいないことに焦っているらしく

主人公の倫子さんに至っては泥酔すると「タラ」と「レバー」に説教されるという幻覚を見るようになる。

 

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(追い詰められていますね!)

 

あまりに頻繁にどんちゃんするものだから見知らぬ若い男(モデルのKEY君)に説教される始末。

 

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(赤の他人にここまで言うのもどうなんだ)

 

と言う感じで倫子と親友とタラとレバを主軸にストーリーが展開していくわけですが

この女三人組、極めて自身を管理し律する力が弱く、またそれを自分で反省することもありません。

 

例えば酔っ払ってぶっ倒れた所に手を貸さないKEYに「なんで手を貸さないのよッ」と食ってかかったこのシーン↓

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(アラサー女が説教されるの図)

 

当たり前では…。

個人的には30過ぎたいい大人が自分で立って歩けないほどへべれけになってぶっ倒れておまけに植木鉢までひっくり返して「手を貸しなさいよあんたサイテーッ!」って食ってかかる図はかなり見ていて恥ずかしいです…。

 

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(ショックを受ける倫子さん)

 

当たり前では…。

(二度目)

 

と言うか、30過ぎて自分を「女の子」だと思ってる人って存在するんですか…。

まじですか…。

 

その後の恋と仕事がうまくいかないからってことあるごとに飲みまくっております。

 

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(干された仕事のプロデューサーを尾行して脚本家の枕営業を特定してヤケになる倫子さん)

 

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(偶然いい男に出会って「私、結婚するのー!」と仕事そっちのけで呑んだくれる倫子さん)

 

嫌なことがあってもいいことがあっても呑んだくれる倫子さん。

 

仕事しろよ…。

え、なんで仕事干されてるのに酔っ払ってんの…?

え、富豪なの…?

 

親友二人も大分迷走している様子。

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(不倫…)

 

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(彼女のいる元カレと…)

 

いやまあ他人(というか物語の中の人間)のことなのでどうでもいいんですが。

読んでて気になるのはこの人たちは自分の言動に全く責任感がないんですよね。

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なぜ自分たちを「一方的な被害者」として回想するのでしょうか?

不倫やセフレや愛のないセックスを選んだのは自分ではないのでしょうか?

そこに自分の意思はなかったのでしょうか?

セックスで対価を求めるのであればそれは予め明文化すべきです。

「これだけしたのだから"当然"対価が得られるだろう」という考え方はすべきではありません。

 

仕事がうまくいかなかったらほっぽり出していいことがあっても悪いことがあっても呑んだくれて恋愛も結婚も受け身でしか評価できない人間が果たして魅力的に映るでしょうか。

 

これは「若ければいい」とか「結婚すればいい」という問題ではなく、自分自身の人生との向き合い方の問題です。

自分の人生について責任を持てない人間とは、普通の人は恋愛も結婚もできません。

だって他人の人生なんて責任取れませんからね。

 

時代によってはもっと結婚が不可抗力的な力に由来するものであったこともあるでしょう。

しかし、仕事するしない、恋愛するしない、結婚するしない、今の日本では基本的に全て個人の自由意志に委ねられます。

どれを選択するにしても責任を持ち、自分自身で落とし所を見つけ、納得できないのであれば軌道転換しなければなりません。

 

自分で人生と向き合えないから永久にタラレバ言い続けるハメになるんですよ。

朝井リョウ『何者』〜人を嘲笑うな、ではなく、人を嘲笑わなければならないほど自分を否定しないで、という話

浅井リョウの『何者』読んだ。

 

https://www.amazon.co.jp/dp/B01916B8TU/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

 

【動機】

生粋の文学青年であった私が社会人になってから読む小説はせいぜい2、3冊になってしまった。

そしてその年2、3冊の内の貴重な1冊にこの本を選んだのは、かねてより患っていた就活コンプレックスのためだ。

私は就活をしなかった(できなかった)。

なぜできなかったのか?

嫌だったからだ。

大学の3年生だったか4年生だったかの時に、SPIの分厚い問題集を見ただけで「あ、これは私には無理だ」と悟った。無理なのでしなかった。それだけだ。

今は企業に勤める一介のサラリーマンであるが、それすら大学院2年の暮れにブラブラしていたら「弊社に遊びに来て下さい」と言われたのでそうしたまでだった。

転職はいずれするだろうが、その時も私はきっとこの時と同じように『ノリ』で決めてしまうのだろう。履歴書を書いてスーツを着て面接対策をするなどという芸当は逆立ちしたってできない。

 

私には幼い頃より「嫌なことを我慢してする」ということができなかった。

一方でやればできるだろうとボンヤリと信じていた。

しかし『就活』にあたって、私は就職のような今後の人生を決定するような重大事においてさえ、「嫌だ」と思ったらテコでも動かない「自分」をイヨイヨ認めざるを得なかったのだ。

 

そういうわけで人知れず就活コンプレックスを燻らせているのである。

そこで浅井リョウの『何者』である。

臨場感を絶賛される朝井リョウの『何者』を読むことで、手っ取り早く就活気分を味わおうという魂胆であったのである。

 

【感想】

面白い!人物はとてもリアルで、描写も丁寧だった。

これは私のヘンケンであるが、男性作家は人物描写が下手というイメージがあるが、朝井リョウには全く当てはまらない。全体的に非常に愛のある優しい文体だった。

私がキャリセンにも行かずマイナビにも登録せずESも受け取らず、ブラブラしていた時に同期たちが何をし、何を考え、悩み、行動していたのか、とても丁寧な描写で綴られており、とてもあったかい気持ちになった。

 

しかし「あったかい気持ちになる」というのは、この本の健常な楽しみ方ではないのだろう。

この本の醍醐味が「主人公の目線で物語を読み進めて行った読者がやがて最後の30ページで『自分が何者であるのか悩める内の一人』でしかないことを突きつけられる」ということにあることくらい私のようなものでもさすがにわかる。

 

残念ながら私はこの最後の30ページに全く驚愕することができなかった。

なぜならこの本を読みながら一度も主人公の視線には立てなかったから。

意識高い系、クリエイター系、ツイッターで語る系、主人公はそれらを冷ややかに見るが、正直私にはそれらの何がそんなに気に入らないのかよく分からない。

皆悩めるのは同じだ。ツイッター意識高いことを書いたからと言って何がどう困るわけでもない。何がそんなに気に入らないの?

更に言えば冒頭からすでに主人公がインターネット上でよからぬことを書いてることは明々白々だったので(朝井リョウには隠す意図もそんなになかったであろう)、終盤で明かされても特に何も驚くことはない。

 

一方で就活という謎のイベントに主人公のメンタルがガタガタになり人の粗探しでもしなければやっていけないという気持ち自体は「理解」できる。

クリエイター系が就活をバカにするのも、意識高い系が名刺のような自己紹介をするのも、仲のいいフリをしながら相手を牽制し心のどこかで他人の失敗を望んでいることも、私には非常に自然なことに思える。

人間は一面しかない単純なものではなくたくさんの顔を持っている。

いい人の裏側に悪い人があったからと言ってその「悪い人」だけがその人の本質ではないだろう。いい人も悪い人も含めてその人自身だ。悪い面だけを取り出してそれこそが本質と呼ぶのはせっかちなおっちょこちょいのすることである。

 

終盤でリカちゃんが「私もあんたも性格が悪い」と言い出したのは少々悲しかった。

もちろん綺麗な側面だけではないけど、この物語の登場人物はそれぞれ悩み、葛藤し、努力しているのに、それを「性格悪い」などという狭量な言葉でまとめられてしまうのはとても悲しいことだ。

世の就活生は友達の内定先がブラック企業かどうかを検索して心を慰めて、それを自分で「性格が悪い」と思っているのか。同じ状況になれば私だってそうするだろう。誰だってきっとそうする。そんなことで自分を否定しないでくれ。

 

特に構成のないぐちゃぐちゃな感想であるがもっと広い範囲での話をしよう。

そもそも私はTwitterFacebookを見て「この人痛々しい」「この人自慢ばかり」「見てると疲れる」といって人をあざ笑ったり批判する人々の気持ちが全くもってさっぱり分からない。

痛々しいのは頑張ってるからだし、自慢して認められたいのは私も同じであるし、見てると疲れるのであれば見なければいいだけである。

もちろん人をあざ笑ったり批判する人を否定するつもりはない。単純に私には理解ができない(そして理解したいとも思っているのでこの辺解説してくれる人がいるならしてほしい)。

 

多分この本を読んで「面白い!共感する!」というのは、TwitterFacebookを見て、人を嘲笑ったり批判する人々なのである。

そういう人々は、まず主人公の目線に違和感なく収まるだろう。だからこそ終盤の30ページに「驚愕」できるのである(恐れながら私にとってはそんなものは何の驚愕でもなく冒頭から明らかにされていたことだった)

 

多分であるが、そういう人はいつも自制しているのだろうと思う。痛々しくならないように、自慢げにならないように、人を疲れさせないように。だからこそそれらを自制(していないように少なくとも彼らにはそう見える)人間に会うと、嘲笑わざるを得ないのである。だって自分は我慢しているから。

大丈夫。認められたい、褒められたい、そういう気持ちは誰の中にもあるものなので、否定しなくていいし、隠さなくていい。むしろ私はそういうのをドンドン見ていきたい。認められて、褒められて、ニコニコしている人間というのは、本来はハタから見ていてとても気持ちのいいものだと思うからだ。それを否定して、人を嘲笑うくらいなら、痛々しくたって何の問題があるんだ。

 

感想はマアそのくらいである。

なんかよく分からんけど皆頑張ってるんだから自分でその頑張りを認めてあげてほしい。

 

あと文庫本の解説であるが、よくもマアこんなつまらない文章をこの力作の後に載せれたものだと感心した。編集者はもっと他にマネジメントのしようがなかったのか。

『何者』は最後の最後に「第三者」として君臨していた主人公が実はその他の有象無象と大して変わらない、それどころか自分自身を認めることすらできない弱虫であったことを突きつけられるところにこそおもしろみがあるのだろうが、この解説者は本書を絶賛しながらなおもこの「第三者」こそが他より「優れている」前提で解説を書いている。本書を絶賛している人がこのような頓珍漢な「解説」を書いてしまうのであれば、本書はどうやら酷く低い次元で評価されているのだなという印象を受けた。

この三浦大輔とかいう人は(私にとっては)文章がめっぽう下らないだけであってきっととても優れた演出家なのであろうが、Twitterで承認欲求(?)を満たすために自分を演出する人々を批判する自分に対して「そんなのどうでもよくないー。楽しければそれでいいジャーン」というギャルを「知性がない」というように形容するほどであるから、きっとこの人にとっては私も「Twitterで承認欲求を満たすために自分を演出する人々を批判すべき理由がわからない馬鹿」なのであろうし、あるいは「Twitterで日々承認欲求を満たすために自分を演出する俗物」なのであろうが、とにかく書いてる内容が支離滅裂でありまずはその自分のとっちらかった文章の方を恥じることから始めてほしい。

私のような素人がブログに好き勝手に書いてるわけではあるまいし。下らないものをわざわざ載せるな。つまらないものを読んでしまったよ。

 

おわり